このHP自体、独り言のようなものなので、今更「独り言」と書いても虚しい気もしますが...(^_^;)。

 その時々に思いついたことを書いて行きたいと思います。ご意見、ご感想などありましたら掲示板、またはメールで...。反応がないと本当にひとり上手になっちゃう(^_^;)
 

 ハワイ大好き(2000/08/07)

日航機墜落事故(2000/08/12)

ミスアメリカ(2000/08/15)

隣の子を叱る(2000/8/28)

マイキー5歳の誕生日(2000/10/15)

永住権取得(2000/12/20)

ハワイといえば虹(2002/8/20)




ハワイ大好き(2000/08/07)

 「ハワイ病」なんて言葉もある位、ハワイ好きの人は沢山いるようです。そう言う私もハワイ大好きです。でも、私は他の人達のように純粋にハワイが好きなのかな?割と不純な気もします。ハワイアンウェディング
 私のはじめてハワイは1992年の年末Julieとハワイアンウェディングに行った時でした。この時が私にとっては初めての海外旅行でもありました。
 初めての海外旅行、初めての個人手配(といってもJulieに航空券を買ってもらっただけだけど)、そう言えば飛行機に乗ったのもこの時が初めてでした。年末年始の休暇と結婚休暇と有給を使って17日間の旅行でした。
 初めての旅行にもかかわらず、仕事が忙しくて下調べを全くしていませんでした。ホノルル国際空港に飛行機がついた時に、「右手にダイアモンドヘッドが見えます」と機内放送が流れました。一斉に右側の窓を覗き込むほかの乗客を見ながら、「ダイアモンドヘッド??」となんのことだか理解できないでいたのは私です。(^_^;)
 空港に到着して、Julieの両親に出迎えてもらいました(このとき初対面でした)。こんな私でも、Julieや彼女の親戚、友人にあっちこっち案内されているうちに、すっかりハワイにはまってしまいました(予備知識がない分、感動も大きかったのかな)。このほかにも、結婚式や親戚の話などを聞いて向こうの日系人の生活も見ることができて楽しかったです。(このときの様子はまた機会があればお話したいと思います)

 このまま帰っても、ハワイ好きのオヤジがひとり完成です。でも、さらにこんなことがありました。
 ハワイでの楽しい日々が終わって日本に帰るとき、空港まで見送りに来てくれたJulieの両親としばしのお別れをして、ちょっとセンチな雰囲気に...。飛行機に乗って、席についてもJulieは窓の外をみて何も言いません。

 「なに見てるの?」(私)
 「私の故郷....」(Julie)

 このときから、ハワイは私にとっても故郷になったんです。そう言うわけですから、私の上司の皆さん(見てないと思うけど)私がハワイに行くといったら、気持ち良く休ませてね。



日航機墜落事故(2000/08/12)

 今、ちょうどお盆休みで飛行機で故郷や海外に行かれる方も多いと思います。ちょっとインターネットで空席照会してもどこもいっぱいです。
 1985年8月12日、その日なにをしていたのかはすっかり忘れてしまいましたが、テレビから流れるニュースを見入っていたことは覚えています。日本航空123便墜落事故から15年です。特に飛行機に興味があったとか、関係のある人が乗っていたとか、坂本九さんのファンだった訳ではないのですが、何故か良く覚えています。

 当時は1度も飛行機に乗ったことはなかった私ですが、今は旅行や出張で年に数回は飛行機に乗っています。特に家族と一緒の旅行では、安全性というのはとても気になります。あれから15年も経つのに未だに航空機事故のニュースを聞きます。フランスのコンコルド墜落事故もつい先日のことです。
 よく飛行機事故に会う確率は、交通事故に遭う確率よりもすっと低いと言う人がいます。でも、多くの高度な訓練を積んだ専門家がちからを合わせて運行している飛行機です。事故を0にするのは自動車事故をなくすよりもずっと可能性が高いと思います(決して簡単なことではないとは思いますが)。航空機事故を0にすることが、今まで航空機事故でなくなられたかたがたに対する一番の供養になるとも思います。

 これからたびだたれる方の安全をお祈りします。


ミスアメリカ
(2000/08/15)

 1995年のミスアメリカをご存知でしょうか?ミス ヘザー・ホワイトストーン、子供の頃にかかった病気のため、そのほとんどの聴力を失ったが、大変な努力をしてミスアメリカになった人です。「聞こえない世界と、聞こえる世界の架け橋になりたい」彼女の言葉です。

 もうだいぶ前のことだと思います。いつもの様にボーっとニュースを見ていたときに、そのニュースが流れてきました。”1995年 ミスアメリカに、難聴という障害を乗り越えて、ヘザー・ホワイトストーンさんが選ばれました”というような内容だったと思います。そのあと、記者会見のシーンがテレビに写しだされました。
 ある記者の質問に彼女はこう言いました「すいません、ライトがまぶしくてあなたの唇の動きがわかりません、ライトの光を弱めてくれませんか」(こんなような内容だと思いました)。普通に会話をしているようでしたが、彼女は相手の唇の動きを見て会話をしていたのです。
 また、別の記者の質問「あなたをここまで支えてきたものは」に対しては「American(アメリカ人)の最後の4文字はなに? I CAN(私は出来る)、あなたはアメリカ人なのだから、努力すれば出来るの。という母の教えです。」と答えていました。(I CANのくだりは、ロックフェラーの話でも聞いたことがあるので、彼女のお母さんのオリジナルではないようですが。)

 ただ、その後の彼女の活躍に着いては、世界の東端に住んでいる私のところに伝わってくることもなく、Julieに冗談で「アメリカ人なんだからなんでも出来るでしょ。」とイジワルなことを言うくらいで、ほとんど忘れかけていました。
 そんなある日、たまたまいつもより早く会社から帰って来ると、あるテレビ番組で彼女のことが紹介されていました。再びあの記者会見のシーンを思い出して感動してしまいました(^_^;)。(年のせいか、涙腺がすっかり弱くなっている様です)

 2回も偶然に見るなんて、きっと何か縁でもあるのかな?と思ってインターネットでいろいろ調べてみると、アメリカのサイトではいっぱい情報が載ってるのに、日本語のサイトってほとんど彼女について、ふれられているものってないんですね。英語はちょっと苦手なので、出来れば日本語の情報が欲しいです。本なり、HPなりご存知の方がいらしたら是非教えてくださいね。


隣の子を叱る
(2000/08/28)

 Yahooの掲示板を良く覗くのですが、今話題のトピックと言うことで「隣の子を叱る」というのが紹介されていました。トピが立ち上げられてから、1週間も経っていないのに活発に色々な意見が出ています。読んでいると結構面白いですね。色々な人が、色々な立場でモノを言っているので、まあ普通に行けばまとまらないと思います。でも、それが普通で健全な形なんじゃないかと最近思っています。私の思うところは...どうだろう。
 ただ、価値観が多様化しているし以前のような全体の為にひとり一人が犠牲になるっていう価値観は変わってきていると思います。そう言うことは、私個人では良いことだお思います。叱るにしても。叱る側のわがままなのか、そうじゃないのかって、難しいですよね。ケースバイケースで行動するしかないと思います。
 ただ、叱る対象の子供に対して愛情を持っていれば、結構叱るのは結構簡単に出来ると思います。そうでない場合は叱るのは難しいかな?
 自分が頭に来ているときは、人を叱ることは出来ないです。家族や友達なら、感情を思いっきりぶつけ合うのも良いと思うのですが、他人のお子さんは(小さな子供)は叱れないとおもいます。道義的に許せない場合は、親に文句を言うようにするかな。
 なんて、偉そうな頃を言ってるけど本当に頭に来たらどうするかな?




マイキー5歳の誕生日
(2000/10/15)

 今日はマイキー5歳の誕生日です。そう言えば、生まれたときも日曜日でした。
 今日は、マイキーの保育園の運動会でした。そんなわけで朝からお弁当を持って運動会に。運動会が終わってから、スーパーでケーキを買って帰ってきました。あとは、とくになんにもなしです。アメリカの親戚から、おもちゃが送られてきてましたが、誕生日を前に開けちゃったし(^^ゞ。
 生まれたときには3キロちょっとだったマイキーも、いまでは25キロです(でかいでしょ)。てことは5年後には...。体格は抜かれているかな?年に1度のマイルストーンでした。



永住権取得
(2000/12/20)

 横浜の山下公園の近くに、入国管理局があります。神奈川県に在住の人ならパスポートの発行をしてくれるところが山下公園の裏側にあるのをご存知だとおもいますが、そこよりさらに下ったところにあります。
 私がはじめて行ったのは、Julieと結婚して翌年にビサが切れると言うことでビサの更新に行きました。日本人の配偶者なので当然3年のビサが取れると思ったのですが、結婚して3年以上経っていないと1年のビサしかもらえないということでした。ただ、今まではJulieは3年のビサを貰っていました。彼女のお父さんは日系2世なのですが、生まれたときに日本にも出生届を出していたため日本の国籍も保有していたのです(フジモリ大統領みたいでしょ(^_^;))。日本人の子供と言うことで3年間のビサがもらえたのでした。そこで、そのときは私の配偶者としてはなく、日本人の子供としてビサの更新をしました。
 まあそれはそれで良かったんですが、この時の入国管理局の職員の態度がとてもつめたいものに感じられて、それ以来あまり積極的に行きたいところではなくなっていました。いまでもそうだとおもいますが、欧米の人の割合は少なく、南米の日系人やアジアの国から来られた方が多かったと思います。私もお手伝いできれば良かったのですが、当時あまり手続きには詳しくなかったし、ポルトガル語も全く分らないので、役に立てずに職員のところに一緒に行って説明するくらいがやっとでした。そのときの職員の態度が冷たいものに感じられました。(彼らも、毎日同じことを説明させられて厭き厭きしてるのは想像できるのですが...。
 そうはいっても何回かは付き合ったけど、マイキ−と一緒に廊下で遊んでいるくらいでした。マイキーが生まれて、永住権の話しもたまにしたのですが、なんか入国管理局の人に聞きづらくってほうっておきました。

 でも、「そろそろ永住権とれば」と言って、今年に入ってから永住権の取得に動きました。といっても、時期が悪くって全部Julieまかせだったのですが...。でも何故か、とんとん拍子でことが進みます。出入国管理局の職員が非常に親切にいろいろ説明してくれる様でした。私は自宅で書類を何枚か書いて会社に証明書を何枚かもらっただけで一度も出入国管理局に行くこともなく手続きが完了してしまいました。
 そのあと、会社に入国管理局から電話がありました。Julieに対して説明した内容でもしかしたら誤解をしているかも知れないので確認のための電話でした。もしかしたら、私が実在するか確認するためかな?とも思ったのですが、電話での対応はとても丁寧で、好感が持てました。この件で、すっかり私の入国管理局に対するイメージが変わりました。(もちろん、人にもよるだろうし、同じ人でも相性もあると思うけど)

 10月の最後の日に1枚のはがきが届きました。永住許可が下りたので、手続きをしに来いという内容でした。申請を終えてから半年から1年くらいで結果が出ますといわれていましたが、我が家の場合は6ヶ月半てところでした。

 さて、これでもう入国管理局にお世話になることが無いかと言うと、そんなこともないです。日本でじっとしていれば良いのかも知れませんが、時々里帰りで日本を出国する時に、再入国ビサというのを貰っていないと、せっかくの日本滞在のビサが失効してしまいます。と言うことで、少なくとも海外旅行を止めるまでは、3年に1回再入国ビサを貰いにいかないといけないのです。でもこれも、ちょっと前までは1年しか有効でなかったのに3年有効になったし、外国人のいる家庭には以前に比べれば住みやすくなって来たのかな?

ハワイといえば虹
(2002/8/20)

 ハワイといえば虹ですね。ハワイのナンバープレートも虹だし、ハワイ大のバスケットチームやフットボールチームもレインボーズです。
 でも、はじめのうちは喜んでみていたけど、そのうちあんまり気にしなくなって、よほどきれいな虹でなければ印象に残らなくなってします。

 今年のお正月(去年の年末から)はハワイに行こうと思っていたんだけど、飛行機のチケットが取れなくてGWに伸びてしまいました。GWの義父母との再会を楽しみにしていたところ、義母の入院の知らせが。Julieがハワイに出発したその夜、義母が亡くなったという知らせが...。年末年始のチケットが取れていれば、義母に会えたのにと思うと残念でなりませんでした。去年カウアイに旅立つ私たちを見送ってくれたのが最後になってしまいました。
 葬儀に出席の為にハワイへ...。「ヨクキタネ、オツカレサマ」独特のイントネーションで歓迎してくれる義母の言葉が聞こえなくてとても寂しいハワイ訪問となってしまいました。「アンタ、ツカレテナイ?」いつも周りの人に気遣いを忘れない義母でした。

 葬儀といっても、日本のような堅苦しさやわずらわしい親戚づきあいも無く、遺体とのお別れは葬儀社の用意した会場で行い、埋葬式も霊園で粛々と行われました。葬儀の合間には、子供を連れてビーチに行ったり、ドライブをしたり。親戚と話しをする事もたくさんありましたが、みんなで酒席を囲むというようなことはありませんでした。
 なので、結構レンタカーをで移動をしていました。ふっと気づくと鮮やかな虹が空にかかっています。朝起きると、実家のコンドのラナイから大きな虹が見えています。気づくと毎日毎日、結構何回も虹を見ています。Julieに「お義母さんが、”よく来たね”って言ってるんだよ」って言いました...。
 それからも何度も虹を見ましたが、虹と一緒に義母の声も聞こえてきます...「ヨクキタネ」「ツカレテナイ?」「カゾクニヨロシク」...。

 ハワイといえば虹ですね。